数年前に長男から、「オレは母ちゃんの行って欲しかった大学じゃなかったし、大手企業にも興味がなくて、がっかりさせたかもしれんけど、1ミリの後悔もないし、むしろ今の職場で本当によかったと思てる」と言われて、愕然としたことがある。こんな思いをさせていたとは・・・私の顔色を見てたんだ。息子を否定したことはなかったはずだけど、ちょっと圧かけてたかな。
長男のセンター試験の5日前に私の母が急逝し、心がボロボロの状態での受験だった。それ以前にヤツは受験を舐めていて、受験生らしくなったのは、高3の11月を過ぎてからだった。
高校に上がった時に、担任の先生が、今からなら、なだらかな坂を上る感じで受験勉強ができるから、3年生まではゆっくり、がんばりましょう、と成績の振るわないヤツの個人面談で言われた。
なのに、ヤツは断崖絶壁を素手で上るコースを選んだ。3年生の秋まで、バンド活動とやらに精をだしていた。
センターの点数が振るわないのも仕方なかった。で、希望大学が難しいとわかって、担任は地方の国立大を勧めてきた。
「都落ち」 なぜかこんな言葉が頭をよぎった。
何より、母を亡くした私は、長男を、遠くへ手放すことに抵抗があった。寂しくて。
私が地方国立大への道を阻んだのかもしれない。
長男も、大阪を離れるのは嫌だといった。浪人覚悟で希望大学を受験。当然不合格。浪人するのだろうと思ったいたのに、受験に慣れるために、と受けていた私立大学に奇跡の合格をしていて、突然、そこに行くと言い出した。
この2か月吐くほど勉強したから、もう受験勉強はしたくない、と言うのだ。自業自得のクセに。
何度も「最終学歴になるけど、それでいいの?」と聞いた。「何がアカンねん?」と息子。いやいや、私立って高いんですけど、、、
地方に行っても下宿代かかるし、とか言って納得させられたけれど、結局、通うのが大変、という理由で2年から下宿。相当反対したけど。
東京の大学を受験しなかったのは、実家を離れるのが嫌だから、と言っていた。京都ならいいのか。意味がわからん。
しかも、麻雀にはまって留年までした。中学から私立で、高校からは河合塾まで行き、大学私立で、しかも下宿、留年。大学が合わずにほとんど行ってなかったようだ。
これは、本人の考えを尊重しすぎた、親の責任なのか!?
今までは、親の思い、念はきっと伝わる、と思っていたが、このころには「親の願いなんてクソの役にもたたん」と学習した。
就活も私のことを「大手病」=何がなんでも大手企業に行きたがる人 と呼んで、全くアドバイスを聞いてくれなかった。内定が出かけた企業の最終面談で「御社は第3志望です」と馬鹿正直に言ってのける図太さ。何故、せめて第2希望と言っておかない⁉当然、大手は全敗。唯一、そんな尖がった息子のことを認めてくれた企業が今の息子の職場だ。AIを駆使して採用をする今風のベンチャー企業。もう入社4年になるが、息子は就活ガチャガチャに勝った!とお気に入りで、1ミリの後悔もないと冒頭の言葉が出たのだ。
想像するに、大学生活が楽しくなくて、留年までして、就活でも色々アタマを打ちまくったのだろう。「安心、安定」命の私とは全然違う道を行った。これからも、きっと、私が願った道など行ってくれないんだろう。そしてやっぱり私は、「安心、安定」を選んで欲しくて、色々口出しをするんだろうな。FIREを目指す息子との溝は埋まらない。
最近は私に、金融リテラシーの講釈をたれるようになった。大手企業に長く勤めている人にありがちな、金融リテラシーの無さ!(らしい)を嘆く。
湯水のように親のお金を使ってきたアンタになんで言われなアカンの?
色彩の勉強もブログも息子が、「自由になった今、何を躊躇することがあるのか、意味わからん!」。「今やからこそ、や!」といつも無責任に背中を押してくれる。
勧めるくらいだから、ブログの設定の仕方なんかは教えてくれるんだろうな、と思っていたのに、「アタマ使え、汗かけ」だの、「手動かせ」だの、「自分で勉強せな身につかん」だの、私が今までヤツに言ってきた言葉をそのまま返された。すっごいスパルタ。私はもっと優しかったぞ。
こっちも必死。56才だぞ。20代の脳ミソとは吸収の速度が違うんだ!
でも、何とかユーチューブを見ながら独学でブログ開設にこぎつけた。本当にどうにもわからんとこだけ教えてくれたけど。
これから、私たち親子の関係性はこんな感じなのかな。
色んな意味で親を超えたな、と思ったのでした。
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