児童手当の所得制限撤廃って・・・
ばら撒き。そもそも意味ある?
我が家は共働きで、会社員の私はたいした額でもないのに、いつも所得制限にあって、児童手当はおろか、市のナントか補助とかの対象外で、税金を目いっぱい取られるだけで、国からもなんの恩恵も受けていなかったと感じている。でも、だから、子どもをもたないって選択にはならないと思ったのだ。
それでも、ばら撒きでお金がもらえるのは、確かに当時なら、ラッキー!!と喜んだけど、
ある程度の所得のある層の子どもをもたない理由はそこじゃない。
だったら、もっと保育してくれるところを、国の管理のもと、多様化するとか、無償化するとか。だいたい、保育料だって所得で決まるから、目いっぱい払ったし。同じ保育をうけるのに、保育料が違うなんて納得いかなかった。こっちだって、必死で働いて、お給料もらって、税金をきっちり払ってるんだし、なのに、何の補助も受けられず、保育料も高額っておかしくない!?ってずっと思ってた。
お金をばらまくんじゃなくて、むしり取らないようにして欲しいんだけど。
所得制限を外して欲しいのは、出産費用、子どもの医療費を18歳まで無料にするとか、公立学校での給食代含む教育費をすべて無償化、こっちの方がよほどインパクトあると思うけどな。
お金じゃない現物支給だ。
子どものために支払われたお金が親のパチンコ代に消えていく・・・なんて家庭を保育園で見てきたから。
どんな仕事をしてるんだか知らないが、私がタマに仕事を早上がりして、15時に間に合うよう、小走りで保育園のお迎えに向かう頃、いつも駅前のパチンコ屋から夫婦で出てくる。
当時、保育園では定時は15時。そこから、最長で18時15分まで預かってくれる。私はいつも最後ギリギリで、残っているのはウチと、今でも仲良しの公務員のママんちの子だけ。
どっちかが遅れてきたら、たいてい、園庭で子ども同士遊んで、一緒に帰っていたっけ。
そんな中、保育料もほぼ無料で、国から補助を受け、児童手当も目いっぱいもらって、保育園に預け、日々パチンコ屋に入り浸るって、どお?
そこの家の子はうちの子より一つ上の女の子で、とても人懐こく、笑顔がかわいくて、いつも元気に挨拶してくれた。保育園を卒業してからも、道で会ったら笑顔で挨拶してくれてた。
でも、久々に道で会った彼女は、髪を汚い茶髪にして、すさんだ目をして、かつてのような笑顔が消えていた。目が合うと、睨みつけてきた。
なんて、残念。
申し訳ない私の妄想だけれど、きっと彼女も両親と同じ道をたどるんだろうな・・・と、なんとも言えない気持ちになった。
育つ環境って、えげつないくらい将来に関係するから。
お金ばら撒いて、助かる家庭もあると思うけど、私はちょっとどうかと思うな。
あと、育休中に給与100%保証!は確かにとても有難い。
でも、「組織での仕事」に対する対価を働かずして保証される、とういのは同じ職場で目いっぱい働いている、子どもを持たない人にとってみれば、どう映るだろう。
独身で、親の介護で四苦八苦している人にはどう映るだろう。
年齢的に給与カットになっている身としては「いいなあ~仕事してないのにお給料もらって。私はどんだけがんばっても、給料半額なのに。
でも、日本の未来を託す子どもを育ててくれるんだから、ここは文句いっちゃいけないのかな。」と自問自答しちゃう。
自分もかつて産育休で、同僚に迷惑かけた身だから、まあ仕方ないかなと受け入れるけど、これ、アラフォー以上の女子にとっては、けっこうなモヤモヤを投げかけることになると思うけど。
この少子化政策のたたき台については、アラカンの元ワーママはかなりモヤモヤしている!!
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