呼び名で気づいたこと

雑記

最近になって、色んなコミュニティで「なんて呼んで欲しいですか?」と聞かれることが何度かあった。

私は小学校時代から短大を卒業するまでずっと同じあだ名で呼ばれていた。今となっては少し説明のいるあだ名が、気に入ってたし、普通だった。今でも学生時代の友達はあだ名で呼び合ってるし。

社会人になると、苗字でさん付けで呼ばれる。同期は名前呼び捨て、みたいな、名札の名前。

アートセラピストとしては「心彩(ここあ)」にしよう!と自分で決めた。キャリコンの仲間たちにもそう呼んでもらった。でも、まだ慣れてない感じ。

今回、絵本セラピーを受けるにあたっての名前は何にしようか?・・・と、

最初は学生時代のあだ名で呼んでもらうことにした。

でも・・・メンタルの勉強をして、自分の思考くせが少しづつわかりかけてきて、楽になりたいと思っていたのに、これじゃ今までの私になってしまう・・・

いつも正解を探して、過去にさかのぼってまで、「あの時の正解」を探そうとしている。足りなかったところにばっかり焦点があたって、満ち足りていたはずのことには目をむけない。誰かと比較して落ち込む。

承認欲求がすごくて、役にたたなきゃ意味がない、と思い込む。

「できない」「無理」の否定的なマインドセット。勝手に作りあげてきた「自分らしさ」の中でもがく。

いつからこうなった?

私は生まてすぐから、両親はじめ、親戚には「まあちゃん」と呼ばれていて、今でも母方の身内からは「まあちゃん」。名前で呼ばれたことは記憶にない。

年老いた叔母たちも、同世代の従姉妹たちも、私が何もできなくても、いつも「元気か」だけを気にしてくれる。

「がんばり屋さんのまあちゃん」を根拠もなく褒めてくれる。

これから呼び名を問われたら

「まあちゃん」でいこう!

学生時代のあだ名は色んな意味で私を縛り続けた。それはそれでいい。今でも仲間と会うのは楽しい。その時間はその時間で、それも私。それも「あり」

でも、これからは何の役割も無かった、ただ元気に存在していた頃の「まあちゃん」の時間を増やしていこうと思う。

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