母親の重圧

雑記

安倍元総理の襲撃犯は、本当は母親が憎くて、母親を抹殺したかったらしい。でも、出来ずに、統一教会の教祖を狙い、あげく安倍元総理を襲撃した。

どんなに憎くても、殺められなかった母親。心は悲鳴をあげていたのに、母親には手を出せなかったんだ。

もっと自分を見て欲しかった。愛してほしかった。とSNSにつぶやいていたと。

なんだか切ない。

最近、渋谷の無差別殺傷事件を起こした少女も、母親を殺したかったのだとか。

本当に殺せるかどうか、試しに人を刺してみたのだとか。ターゲットとして、多分、仲良さそうに歩いていたであろう母娘を襲ったのかも。

母親の代わりに。

どんなに憎くてもやはり、母親を殺めることができないのだろう。

もちろん起こした事件は重大で、法にも社会にも人としても裁かれるべきなのだけれど、本当に切ない事件だと思う。

どんな母親であれ、子どもにとってその存在はどれほど大きく、どれほどその愛情が心に影響をおよぼすものなのか、深く考えさせられた。

ちょっと、言い方は悪いが、恨みの矛先が父親なら、あっさり殺してたんじゃないのか。

毒親と表現されるのも、たいていは母親の方じゃないかと思う。その存在から逃れられられないからだろう。

キャリコンの勉強でいろんな理論家の言葉を読んでいても、

「職業選択に係る個人の態度・能力・関心等のパーソナリティの個人差は親の養育・程度に影響され、遭遇する人的、物理的環境との相互作用に依存する byロー」

だの、

渡辺三枝子著「キャリアの心理学」に掲載されている、ジョン・ホランドの理論によると、

「子どもの初期の経験が自己概念や特徴的な性格特性、行動傾向の形成に大きな影響を及ぼす。親の程度やパーソナリティ・タイプ生得的特徴などが、環境的機会を左右するとともに、子どもが将来乗り越えなければならない何等かの欠陥ともなる。」と。

ちょくちょくグサッとくる理論に出くわす。

親って、特に母親って、本当に責任重大なんだな。子どもにとって重圧かもしれないが、母親としてもその重圧はすごいってこと。

背負うもの大きすぎないか!?

更に同著でホランドは

「幼少期の人的物理的、生得環境によって規定される経験の範囲を乗り越え、子どもが自分なりの新たな経験の機会を獲得できるようになるためにこそ、学校教育やカウンセリングは重要な役割を持つと考える」と。

先生と呼ばれる人や、まわりの大人も大事なんだ。子どものSOSをいかに早い段階で察知できるか、まわりの目配りも大切ということだ。

視野が狭くなっている現代ではとても難しいことなのだけれど。

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