四十九日法要は命日から49日目に行う重要な儀式で、葬儀社の人から、故人の成仏を祈るためには、絶対やるべき法要です!と言われたこともあり、家族だけでも、とお坊さんに来てもらって読経をしてもらった。
四十九日って?なんとも中途半端な区切りだこと。
初七日から始まり、7日区切りで法要の日が決めれらていて、なんだか不思議、、、と思って調べたら、
なんと、故人は、初七日から7日ごとに、この世での行いについて、お裁きを受けているらしい。だから、本来7日ごとに、故人を応援するため、読経をするのだそうだ。
で、四十九日目で故人が仏として極楽浄土へいけるか否か最後のお裁きを受ける。
なので、徳のある僧侶や家族、友人などが最後の応援をするために読経し、故人をしのび、成仏を祈る、非常に重要な日なのだ。
この日までに仏壇に置く本位牌も新たに準備し、白木の御位牌から魂の引っ越しもするらしい。(だから、本位牌を準備をするようにとのことで、母と同じサイズの御位牌を準備すべく、葬儀後すぐ仏壇屋に走った・・・)
そして、あの世での裁きの期間である「中陰(ちゅういん)」が終わって満ちるのが「満中陰(まんちゅういん)」だと。
喪に服していた遺族はこれをもって忌明けとなる。
そうか。お香典やお供えのお返しにある、「満中陰志」という のし紙にはそう言う意味があったのか・・・と今更ながら知りました。
9年前に亡くなった母の時は、母方の叔母たちが一丸となって、流れを作ってくれていたので、都度都度に親族が集まり、私は何も考えずに流されるままに七回忌までを終えている。
今回、父の時は、遠方の父方の親族とは親交がなく、叔母たちも高齢になり、、、弟と私が2人でお作法やらお布施の額なども一つ一つ確認しながら、法要という儀式を「やる!」「不要!」を決めないといけなくて、その選別に苦労する。今後のイベントとして「納骨」、「初盆」と「一周忌」が控えている。果たして、この現状でどこまで、やろうか悩ましいところだ。
両親世代の「常識」がわからない。知らぬが仏 知るが煩悩・・・
しかも宗派によって違うというところが、なんとも不可思議なのだ。故人の偲び方が宗派によって違うなんて、あるのか??このしきたりはどこまで、後世に引き継がれるのか。もし、私が死んだら、息子たちはどこまで手配してくれるんだろうか。実家の宗派と嫁ぎ先の宗派は同じ禅宗だけど微妙に宗派が違うらしいし。
あの世の事情は分からないから、どうしても、この世事情を優先させてしまう。
仏様は一切の煩悩から解脱し、怒ることも悩むこともないというから、大丈夫かな・・・
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