今日のテレビ番組の特集は「綾部市」。
それで、急に、中学時代の友人と、ちょっとした、人生が変わった出来事を思い出した。
その友人のご両親の出身が確か「綾部市」とのことだった。中学3年の社会科の課題で、彼女が戦時中の綾部市と祖父母のことを聞き書きしたレポートが絶賛されていたから、よく覚えている。
彼女は素晴らしく優秀で、嫌みのない性格のよさから、クラスメートはもちろん、先生達からも人気があった。私も友達の輪には入っていたが、彼女は運動神経もよく、何をやってもスマートでホントに勝てるもんなんて何もないな・・・と少し遠くから見ていた。
中学校3年生のある日、彼女から「近くで勉強を教えてくれるという人がいて、一人じゃ不安だし、先方も2人でもいいとのことだから、(月謝も1/2だし)一緒に行かない?」と誘われた。
なんで私だったか、今でも不思議なのだが、私の将来を決めた一言かもしれない。
かくて、私達は彼女の家の隣の大学生のお兄さんの家に週1回通うことになる。
私はそこで、彼女の優秀さを目の当たりにして、毎週落ち込んで帰ることになる。
とにかく、「利発」という言葉がぴったりで、どんな課題を与えられてもすぐに解いてしまうし、質問の内容も素晴らしい。私はいつも彼女の足手まといで、問題は解けないし、時間ばかり食って、自分の不甲斐なさに半泣きになりながら、必死でこらえていた。
「一人の方が勉強はかどるし、私がいたら迷惑じゃない?」と聞いても「なんで?2人の方が楽しいよ」と残酷なことを言う。
いつも彼女が問題を解き終わって、私を待つ間、彼女が自分の爪をじっと見ていたのを思い出す。
それまでは、勉強も運動も、努力すれば、まだまだ何とかなるな、くらいに思ってたけど、どんなにがんばっても勝てない相手がいるということを思い知らされた。
あの時は、ホントに自分がバカだと思ったな・・・。よく一緒に遊んでたから、毎日の勉強時間は同じくらいだったはずだ。しかもモテモテの彼女には彼氏もいた。
家庭教師のお兄さんは私に「気にしないで大丈夫。彼女は出来過ぎるから。」といつも慰めてくれた。
彼女は当然、公立の最難関校に余裕で合格した。彼女に食らいついた私も、おかげさまで希望校に合格できた。レベルは彼女の高校からは落ちるものの、地元では2番手の高校だ。私はこの高校で、さまざな魅力的な友人たちと出会い、最高の思い出を作ることになり、思考錯誤しながら今に至る。あの時、彼女が誘ってくれなかったら、私はもっと普通のお気楽高校に行ってたかもしれない。そこも楽しかったかもしれないが、今の私も、息子たちもいない。なにせ、ダンナも高校の同級生だから。
ほんの少しのきっかけで人生は変わる。
最初、高校は普通科ではなく、商業科に行こうと思っていた。商売人の家だったし、高校卒業したら就職するものだ、と祖母に叩き込まれていたから。
当時、小学生の弟が通っていた区民センターでの個人塾の先生に、おまけのお値段で勉強を見てもらっていた。大手塾に行く学力も、経済力もなく、でも受験生だし、勉強嫌だけど、塾くらいはと。
その先生は「あなたの校区なら、あの高校があるじゃない、自由で楽しそうよ。そこに行きなさいよ~」と勧めてくれた。私の偏差値では難しいかも・・・と言い返したのが、「あら大丈夫よ。まだ1学期じゃない。間にあうわよ。がんばりなさ~い」と超無責任な感じで背中を押した。
「無理なんだよっ、しかも担任に商業科希望で出してるし・・・でも・・・」
ある日、重い学生カバンをもっての学校からの帰り道、ひとりトボトボ歩いていた時にふっと思った。「このカバンの中の教科書を全て暗記したら、高校受験なんて楽勝なんじゃ?数学は無理でも、その他科目の暗記ならできるかもしれない。もしかしたら意外と簡単かも。今からなら何とかなるかも。」と。
なんで、「暗記パン」も無いのに、そんな大胆な考えに至ったのかは分からないけど、今でも、その考えが浮かんだ瞬間を覚えてる。ちょうどあの道を歩いてたとか、カバンを右手から左手へ持ち替えた瞬間だったとか。丸暗記なんてできるはずもないけど、とにかく、ギアチェンジをした瞬間。
すると、少し周りの風景が変わった。友人関係も。
そんな時に彼女が誘ってくれたもんだから、半泣きになっても、少し挑戦したくなったのかもしれない。
暦年齢57歳、思いつく人生の転機はいくつかあったけれど、私の一番の転機はあの中学校3年生のギアチェンジの瞬間だったと思う。あの時、塾の先生が志望校を示唆してくれたから、そして、あの時彼女が勉強に誘ってくれたから、と。
これからもあったらいいな。少し苦しくても、いい風に変わるきっかけ、転機。
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