父のこと

雑記

年末に父のいる施設から連絡があって、熱があり、しんどそうなので、病院に連れていきます、救急車を手配しましたとのこと。

のちに運ばれた救急の先生から連絡があって、肺炎で、83歳にもなり、体力も免疫力も嚥下も落ちているので、少々厳しい状態ですと。

でも、再びのコロナ禍で面会は一切できませんので、ととても強い口調で言われた。

施設での面会制限で、私はもう1年半父とは会えずじまいだったので、この入院騒動で、顔を見れるのではないかと思って確認したが、一切、認められないとのこと。

とにかく、極力病院にも来ないでください。必要なことは電話で確認しますのでと。

病状を聞いて大概ショックを受けているのに、追い打ちをかけるように強く面会を拒絶され、そこには患者に寄り添うといった心遣いも一切感じられなくて、

さらにショックを受けたが、救急現場の医師のひっ迫感が伝わって来て、今の状況では仕方ないのかなと諦めた。

そもそも、コロナ禍だから、といって父を半ば施設に丸投げしていた私に、文句を言う資格はない。

でもこの状況で、もしかして、ひとりで逝ってしまうかもしれないと、考えた時、

なんとも言えない感情がこみ上げてきた。

確かに、色んなことがあって、父のことが好きではなかったし、

脳出血で倒れた時、なんで助かったんだろう、母がまた苦労するじゃないか!と思ったし。

特に母が亡くなった時は、なんで!?順序が違う!と心から思ったし。

きっと色々なことを清算してからじゃないと死ねないんだな・・・ちょっとした罰を受けてるのかな、なんて思ってた。その罰は、父に対してだけではなく、すべての介護をほぼ母にまかせっきりにしていた、私と弟に対してもかもしれない。

けれど、10年間も、麻痺した左半身で自由もきかず、母が亡くなってからは、わがままを言う相手もなく、施設に入っても特に誰が来てくれることもなく、月に2度ほど私が行って話をするくらいで、さぞかしつまらなかったことだろう。

年に一度、お正月には、私の家族と弟と会えて、楽しみにしていたのに、コロナ禍でそれも無くなり、2度目の一人のお正月だった。

しかも、もし、今、最期を迎えると、ほんとうに一人で逝くことになる。

死に様は生き様だというが、そこまで、悪いことをしてきた人じゃない。だだ、、、承認要求の塊のような人で、何とか自分のことを認めて欲しいともがいていた不器用な人だったのだと思う。いつも間違った方向に一生懸命だっただけ。

最期に「よく頑張った人生だった。おかげ様で、私も弟もそこそこ幸せに暮らしています。」と言ってあげたいな。

なんて、まだ生きてるんだけどね。今は酸素吸入と高濃度栄養のカテーテルで何とか耐えている、らしい。

会えてないのでわからない。主治医の電話ごしの話しでしかわからない。ただ、おそらく、ひと昔前ならあっさり逝っていたレベルなのだろう。

そこでまた悲しくなっている。

すんなり逝かせてもらえない。

せめて、コロナ禍じゃなかったらな・・・と思う。

今、面会を制限されているのは、本当の危篤じゃないってことだと思うことにしている。まだチャンスはあるのかな。

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