いつまでに、何時までに、やらなければいけない、という呪縛。この呪縛から逃れたい、と最近すごく思う。仕事をしていると当たり前にある時間的拘束、仕事の期限。社会人として守って当り前で、私は長い職業生活で、遅刻や遅延をしたことが、ほぼ、無い。
ほぼ、というのは、リアル子育て中は、まわりに助けてもらったことも、随分あったから。それでも、何とか頑張ってきた、と思っている。
それが最近、しんどい、疲れた、と思うことが増えてきた。もっと、自分のペースで丁寧に生きたい。
通勤時間はストレスMax。勤務時間に拘束され、勤務時間中は、どんなに時間があっても、本なんて読めないし、YouTubeなんてもってのほか(当たり前)。
58歳になって、1時間の勤務短縮になったけれど、給与はほぼ半分になった。
58歳で一律に給与カットになることは、最初からわかっていたことなのに、ここにきて、リアルに向き合うことになった。
ここからは、評価対象から外れて、要するに「終わった人」になった、と感じる。
問題は、仕事内容は何一つ変わらないということ。モチベーションはもう無い・・・
誰かが言ってた。
仕事には「好きな仕事」、「嫌いな仕事」、「好きでも嫌いでもない仕事」があって、
「好きな仕事」なら、報酬に関係なく、没頭して、遣り甲斐をもって楽しくできる。
「嫌いな仕事」なら、辞めればいい。
私の今は「好きでも、嫌いでもない仕事」。これだとやはり、報酬と比例するんだ。つまり、やった分だけ金をくれ!という感じ。
だから、「もう無理!嫌い!」となったら辞めると決めた。
将来賃金を計算高く見積もると、まだ、そのタイミングではないのかな、と思いとどまっている。
「やりたいことだけやる人生」を送るためには、まだもう少し稼ぎたい。たとえ、半額でも。
だけど、
「しんどい、疲れた、もっと、自分のペースで丁寧に生きたい。」
素の自分は叫んでる。この声は少し前から聞こえてたのかもしれない。
気付かないふりをしていた。
自分の価値観では「経済力」、「自活」がかなりの部分を占めるのが分かっていたから、それ以外は邪念でしかなかった(*´Д`)
「今を生きる」ためには、今ようやく、はっきり聞こえた声を大切にしないといけないな。左脳に支配されていた右脳が少し自立し始めたのかな。
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