中学受験のこと①

ワーママ奮闘記(回想)

長男編①

息子は2人とも中高一貫私立校だった。受験の事由はそれぞれ違ったけれど、結局同じ学校になった。

長男の時は、ゆとり教育まっただなかで、一番頭の柔らかい中学時代にゆとり勉強させられたんじゃ、ただでさえ保育園あがりで野生児の息子はマジでバカになるんじゃないかと思ったから。

加えて、奴は先生に目をつけられるタイプだった。勉強がずば抜けてできたわけでもなかったが、発言力があり、とんがっていて、公立中学では受け入れられんだろう。内申点なんてとれないだろう・・・と思ったから。

5年生から近所の塾に放り込んでも何とかなるだろう。。。と世間知らずな父母は、のちに中学受験の厳しさを思い知ることになる(-_-;)。

浜学園とか希とか、そんな大手の進学塾は気後れしたし、超難関校を狙ってたわけでもないから、近所でいっか・・・なんてナメたことを考えていた。小学校ではそこそこ点数取れてるし~Z会やってたし~と取りあえず入塾テストなるものを受けさせた。

ところが、「四則演算がこの程度じゃ、ウチの塾ではちょっと・・・」などど門前払いを食らった。それを教えるのが塾だろうが!と思ったが、もしかして、息子の学力を過大評価してたのかも・・・と不安になった。別の塾の入塾テストでは、「今から2年間がんばると、ココの中学に行けます!」と言ってもらえたが、ココの中学って?

わざわざ中学から入れなきゃいけないとこなの?と、私立中学の偏差値の見方も知らなかったおバカな親は、現実を知った。5年生では遅かったのだ。中学受験を考えるのなら、4年生から塾へ入れるのがセオリーだそうだ。でもこうなったら、後戻りはできない。

地域柄、中学受験は避けられない・・・こともなかったはずだ。

近くの公立中学は評判がすこぶるよく、地元の有名公立高校に多数の合格者を出していた。ただ、近所の並びの6軒はすべて私学か小学校から国立に行かせてたようだった。お隣さんが「このあたりの、ちょっとしたお家はやっぱり中学から私立よね~」なんておっしゃるもんだから、「ちょっとしたお家」になりたくて・・・というのは半分冗談で、何より、息子のここからの人生がよりよくなるように、少しでも早くから、上質な波に乗れるように、と勝手な親の価値観をぶつけたのでした。

息子は息子で、人と違うことをやりたがるヤツだったので、ちょっと張り切った。

結局、何とか入れた第一ゼミナールでがんばることにしたのでした。

長男編②

塾の担任が地理の先生で、息子と相性があったらしく、ヤツは地理にドハマりした。

ほどなく、成績も上がってきた。こうなると、欲が出る。最初提示された、「ココの中学よりもう少し上を狙いたい。」そう申し出たら、もっと中学受験に特化した校舎への転校を勧められた。

へ?ここは特化した受験塾じゃなかったの? 合格者名や、合格校が貼りだしてあったけど??と不思議に思ったが、転校してわかったのは、以前の校舎は和気あいあいで入門編としてはよかったが、講師がバイトでコロコロ変わって、浮ついたところがあった。そもそも、ココの中学に合格すれば大金星!てな感じだった。

貼ってあった合格者名は、元塾生含むというヤツだった。

新しい校舎では、すべてプロ講師だった。同じ高っかい授業料を払っているのに、今まではバイトの講師だったのか・・・。知らないって怖い。

最初、当然息子は最低の成績だった。それでも、自分で決めた転校だったので、何とか食いついていったようだった。もちろんサボってて、

「そんなんなら、塾なんてやめてしまえ!」、「いやや、やめたくない!」と泣きながらケンカした夜もあった。

息子の武器は社会科だけだった。算数も国語もムラがあったが、なぜか社会科、とくに地理だけは安定して点数がとれた。どうせなら算数だろ。社会科に特化した学校があるとは思えない。試験の配点は算数優位だ。

ただ、優秀なクラスメートの中、誰にも負けないこの社会科が息子の自信となり、モチベーションが上がっていったのではないかと思う。

結局、最初提示された中学より少し偏差値の高い中学に狙いを定めた。息子には根拠のない自信があったようだが、親は、塾の先生に「中学受験とは、偏差値とは、模試の判定とは、、、」と叩き込まれて、学習しまくった。何気なくお受験を決めたあの時の私とは真剣さが違ってきた。

「ダメだったら、地元の公立中学もいいとこだしぃ、そもそもそんな真剣にやってるわけじゃないしぃ・・・」などと仰る余裕のお母さまもいたが、いや、余裕じゃないな、不合格だった場合の伏線を張っていたのだろう。

どんなモチベーションだろうが、「不合格」を食らったら、ショックに決まってる。いくら本気じゃなかった。。。なんて言い訳したって、親も子も、ついでの塾講も、誰もハッピーにはならんだろう。じゃあ最初からやめておけばいい。やるからには、真剣勝負だ。親はそばで見守るしかなかったが、運気が上がるからと、やたらトイレ掃除をしたし、家中パワーストーンだらけだった。最後は滝業でもする勢いだった。お受験教に入信~そんな感じだった。墓参りも欠かさなかったし、近所の神社のお百度は当たり前。

息子は第一志望の学校見学に行ったときに、校庭の片隅に自分の髪の毛を埋めて、痕跡を残してきたらしい。ちょっと笑えるが、それほどに真剣だった。

母親が仕事をしながら、子どもを受験塾へ通わせるのは、思った以上に大変だった。

夏休みなどは、朝からお昼の弁当と夜の弁当を2食作って置いておく。夜は遅い時で11時にもなるので、お迎えに行く。かえってからも夜食を食べさせて、風呂に入れて、段取りよく寝かせる。宿題のある時は、父が付き合った。

この自宅勉強がやっかいで、私は朝、塾に行くまでの勉強に付き合えない。しかも問題はかなりハードだ。教える自信もない。ラッキーなことに主人は時間の自由度が高く、勉強を教えるのも苦ではなかったようで、リビングに机を置いて、一緒に勉強をしていたようだ。問題集なども自前で探してやらせていた。

なんせ、5年生からのスタートだったので、だいぶ遅れているのは否めない。優秀な子は、5年生からの通塾でも最難関校へ合格できた!、と聞くのだが、マジで?、無理じゃね?と突っ込んでしまうほど、1年間の遅れは大きかった。

長男編③

そして迎えた受験当日、名だたる塾の送り込みは、息子の学校程度でもすごかった。

校門に塾の名前の書いた上りが立ち並び、塾生が集まって、エイエイオーの勝鬨をあげる。子供たちは塾の先生と熱い握手を交わし、カイロを手に、教室に消えていく。あんなに自信家だった息子は何度もこちらを振り返り、心細げに教室に消えていった。今思い出しても、泣けてくる。

息子の試験中は、私も渾身の力を込めてパワーストーンを握りしめ、神様、仏さま、ご先祖さま、そこら辺の八百万の神に祈りまくった。誰でもいいから、願いをひらって欲しかった。

合格発表は主人がひとりで見に行った。当時は掲示のみだった。息子はこたつに入ったまま出てこなかった。息子にとって、人生初の試練。ここで成功体験をさせてやりたい。なんとしても合格してほしい。結果は・・・

ギリギリセーフで合格だった。

ギリギリでもなんでも合格は合格。有頂天。嬉しかったなあ。ホントに。

で、やっぱり最難関校の送り込みはどれほどのものかと、翌年、近くの超難関校の入試日に前を通ってみたら、やはりすごかった。

浜学園や希学園の上りのもと、母親達がアーチをつくり、その中を必勝鉢巻をした子どもたちが歩いて校門まで行く。周りで先生達が拍手をする。各塾ごとに自分とこの塾生以外をビビらせてなんぼで、合格実績を上げたい塾の応援合戦はすごいものだった。

塾の事情はどうでもいいが、長男のときを思い出し、胸がいっぱいになった。生徒もお母さんも、みんな頑張れ!!と心から応援してその場を通り過ぎた。

「番外編」次男が情緒不安定になったこと

長男の中学受験のことでアタマが一杯だった頃、保育園に通っていた次男が情緒的に少し変になったことがあった。私たちは変わらず(のつもり)次男の保育園やらスイミングの送り迎えをしていたのだが、多分、頭の中は長男の受験と仕事のことで、いっぱいいっぱいだったのだろう。

次男はスイミングに送って行っても、ずっと自分のクラスを見ていて欲しいと駄々をこねるようになった。いつもは終わった頃に迎えに行ってたのに。他にも何かにつけて自分をアピールして、かまってちゃんになった。長男と6年も離れていたので、今まではどうしても次男優先になって、どちらかというと長男放置を気にしていた。

なのに・・・

子どもは本当に鋭いなと思った。私たちの関心が長男に向いていて、自分に焦点があたってないのを敏感に感じ取ったのだろう。親にも十分その自覚はあった。

ごめん!申し訳ない!!

それから、できるだけ次男とべったり一緒にいる時間を作って、その時は兄のことは一切言わないことにした。

ほどなく、次男は落ち着いた。5歳児恐るべし。気付けてよかった・・・

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