「担任ガチャ」

ワーママ奮闘記(回想)
ジョニーのイラスト

長男の3年生の担任は男の先生で、今で言う「担任ガチャ」だと、大当たりだった。怒るとものすごく怖い先生だったが、ガサツな息子のことを、「今時見かけなくなった昭和の子どもだ」と言って、かわいがってくれた。

息子を「昭和の子ども」と言われた母は、怒っていいのか、喜んでいいのかよくわからなかったけれど、きっと悪い意味ではなさそうだったので、受け入れた。

息子が当時流行っていたサザンの「波乗りジョニー」から適当に着けた「ジョニー」というあだ名を気に入ってくれて、サインまで考えていたらしい。

休憩時間はいつも皆で遊んでくれて、褒めてくれるときは、必ず自作のイラストをくれた。悪さをしては呼び出されてこっぴどく怒られたらしい。

担任してもらったのは、たった1年だが、その後も何かと問題を起こす息子のことを気にかけてくれていたようだ。息子が6年生の時に先生は転勤してしまったが、学校の送別会で最後に送る作文を全校生徒を代表して読んだのは息子だった。

ものすごく残念だったその時のことを小学校の卒業文集にも書いていた。

息子の小学校の思い出ボックスには、小学校3年生の頃の文集とジョニーのイラストのみが残っている。

その後の小学校の担任ガチャはすべてハズレだったんじゃないか?と思う・・・

5年生の時、ちょっとした問題をおこした。

懇談会のあと、息子にいじめられたというお母さん3人に囲まれた。

最初、何を言われているのかわからなかった。

彼女たちの主張は、

とにかくうちの息子が悪さをする。膝カックンをされた。ズボンを下ろされかけた。家に遊びに来たとき、勝手に家中を歩きまわった。言い方がキツイ。ウチの子はもう学校へ行きたくないと言っている。と。

あげく、受験塾へ行っているので、日常生活に余裕がなくなっているとか、私が仕事をしているから、子どもの事を見れてないとか、

なんで、そんなことまで言うかな!というようなことを言いだした。

3対1だから、向こうは言いたい放題。

でも、むこうが「いじめ」だと認識しているのは確実で、もしそうなら、絶対ダメなことだから、こちらは平謝りするしかない。

私から担任の先生に相談してみます。と言ってみたのだが、「それは結構です!」と。その時の担任は家庭の都合で長期欠勤していて、代行の先生はどうにもパッとしない人だった。

それは、そのお母さん方もわかっていて、直接徒党を組んで私に向かってきたのだ。

私はとんでもなく落ち込んで、凹んで、どうしていいかわからなかった。

息子に問いただす前に相談したのは、さっきの3年生の時の担任のジョニーだった。電話で半泣きで訴えた私に、先生は「わかりました。すべて任せてください。少し時間を頂きます。」と言ってくれた。

次は息子に事実確認だ。

淡々とやっぱり半泣きで聞いた。

息子は、少し腑に落ちなかったようだった。自分の言動、行動がそこまで人を傷つけていたとは全く思ってなかったようだった。

言い方は、親から見ても、キツイ。テストの点数の悪かったコに「どうやったら、こんな点とれるねん。なんで、教科書読めへんねん!」というようなことは、よく言ってたなと。

膝カックンとズボンおろしは、家では当たり前のように父子でやり合って遊んでいたから、「それがなにか?」という感じ。

私も言い方がキツイところあるし、ウチの家庭の当たり前がほかの家庭に通用するとは限らない。嫌というほど思い知った。

申し出た3人のことは、気弱な一人に対しては、ちょっと悪ふざけが過ぎたと反省していた。「でも、オレよりもっとしつこく絡んでいたヤツおったで」とのこと。

もう一人のことは、仲良しだと思っていたし、いじり過ぎた感があったのかと反省していた。2人とも嫌いじゃないし、傷つけたのなら、本当に申し訳なかったと泣いていた。

あと一人のことは嫌いだったから、ほとんど絡んだことが無かった・・・とのこと。

次の日、息子は、自分の得意だった自作の割りばしゴム鉄砲を渡して謝ったらしい。

その次の日、相談していたジョニーから電話があった。

それぞれ一人づつ話をしました・・・その結果、本当に謝らないといけなかったのは、やっぱり、一番気弱な感じのS君です。とのこと。

S君はほかの子にも同様にちょっかいを掛けられていて、少し辛い思いをしていたようだ。息子のことはそんなに嫌いではなかったが、一番目立つ存在だったので、親に聞かれたときに最初に名前が出た、とのこと。

息子が仲良しだと思っていたI君は案の定、「え?別に嫌じゃないです」と言ったらしい。

イジられているのは嫌いじゃないし、なんならおいしいとさえ思っていたらしい。

まあ、そんな我が子を見た親は心配になったんでしょう、、、とのこと。

確かにI君はとても愛嬌のある子で、私を見かけると、どんな遠くからでも挨拶してくれた。

あとの一人は論外。ちっとも関係ないのだが、まわりが騒いでたので、親子で「ウチもだ!」と大風呂敷を広げたらしい。全く人騒がせな親子(怒)

息子にすかされて、相手にされないので、ちょっと炎上に乗ってみたようだ。と先生が言っていた。

息子はジョニーにこっぴどく怒られたらしいが、その他にも泣くほど怒られた子がいたらしい。息子の陰にかくれて、もっと嫌なことをしていたから、とのこと。

ほどなく、騒動は収まったが、私は今でもS君のお母さん以外の、炎上母が大嫌いだ。

もう15年以上も前のことだけれど、

私、執念深いので・・・

それで、それ以来、息子は他の先生に何かと目をつけられて、何をやっても一番に怒られるようになったらしい。

中でも6年生の女担任は最悪。男子も女子も○○さんと呼んでいて、

懇談ではいつも、息子の素行を報告してくれたが、「は?」と思うことが多かった。

息子が「「次は音楽か~音楽室行かなアカンな、だるぅ~」と言ったら、みんな音楽室へ行ったんです。次は音楽じゃなくて、算数だったのに。○●さん(息子のこと)の勘違いがみんなに波及するんですよね。」

って、これって周りがぼーっとしてるだけなんじゃ?なんで息子が言われなアカンの?

他にも、自己主張が強く、はっきりモノをいう息子のことを、「怖がって、ピリピリしている子もいて・・・」、あげく、(息子が)「欠席の日はみんなほっとするみたいで・・・」

などど言い出す始末。学校に来るなということか!

なんだ、コイツ。私がモンスターなら、噛みつくところだぞ。

でも、これ以上息子の心象を悪くするわけにはいかなかったので、懇談ではいつも「すみません」と言った。

息子は小学校を卒業する頃には「目立ったら、一番に怒られて、いいことは何もない。これからは、何も言わず、できるだけ目立たたないようにするわ」と言った。

ジョニーにはずっと「オマエは前に出ろ!」と言い続けられたのに。

あの女担任はみごとに息子の芽を摘んでくれた

でも、まあ、あのままどんどん前へ出て、「オレがオレが」ということを続けていれば、いつかアタマを打つ時がきたのだろう。それが異常に早かっただけなのかもな。

ただ、その見極めはしかるべき時に自分でして欲しかった・・・と思うのです。

よって、長男の小学校5、6年の担任ガチャはハズレだったのか、人生勉強をさせてもらったから、イーブンだったのか・・・

少なくても息子は大ハズレだったと思っているようだ。

私もあの6年の担任教師が今でも大嫌いだ。

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