2人とも、まっとうに育ってくれた。これは主人を含め、まわりの人たちに感謝。
産休、育休を経てバタバタとした子育てだった。子育て期間を思い出し、絵を描いてみると、ランドセルが浮かんだ。
小学校から「ただいま!」と帰って来たときの顔を見れてなかったのが、一番つらかったな。学校でどんなことがあったのかというのは「ただいま」の表情でわかるんじゃないかと、ずっと思ってたから。
参観日には極力休暇をとって学校に行ってたけど、親しいママ友もいないし、完全アウェイな感じがして、嫌だったな。私が登校拒否したかった。
保育園時代はけっこうママ友できたのに。専業主婦率が高い小学校では、参観日くらいしか接する機会なかったもんな。そりゃ浮くわな。
だから、次男の小学校卒業式の時は私も解放された気分でとっても嬉しかった。
息子たちは当然保育園育ちで、保育園というところは教育の「育」の部分を重視するので「教」は後回し。それでいいと思っていた。
ただ、小学校1年生になったばかりの時、教室の後ろに貼ってあった、図工の時間に描いた絵を見て少し衝撃をうけた。
うちの子の絵だけ圧倒的に幼い。よく言うと奔放、悪くいうと稚拙。ほかの子は多分、幼稚園で絵の描き方なる指導を受けたのだろうか、一年生の教科書に載っているのような、それなりの絵なのだ。
これが、保育園と幼稚園の差か!?と妙に納得した。が、正直焦った。どうすることもできなかったけれど。
「対処法がわからず、放置する」ことが多かった。下の子もいたし、日中は仕事で忙しかったし・・・ああなんてダメ親なんだ!と一人悶々としていたのだが、
今なら言える。それがよかった。
息子は3年生の頃には先生に褒められる程度の絵が描けるようになっていた。
もう一つ思い出した。
事前に「工作で使うから、家にある空き箱とか芯とか集めといてください」というから、適当に集めた材料を持たせた。
工作は参観日の授業だった。
そこでまた衝撃を受けた。他の親たちは、事前に図工の教科書を見て、「こんな車を作るには、これが要るな」と、必要な材料を集めて持たせていたのだ。
あるものを適当に持たされた息子は、当然イメージするものが作れない。
ああ、、、リサーチ不足。ダメな親!。
今なら、与えられたもので何が作れるか、足りないものをどう補うか、そこも勉強だ、と思えるのだが、なんせ当時は「大事な息子になんて思いをさせてしまったんだ!!」と猛省したものだ。息子はお友達の余った材料をもらって、適当に作った。らしい。
今ならわかる。放置でよかった。そんなことばかり。でも、当時の私の耳元で、そんなことささやいても、きっと「はあ?何言ってるの?他人事だと思ってる?!」なんて、ちっとも心には響かないんだろうな。
だから、わかります。ギリギリがんばっているお母さんの気持ち。とりあえずは自分の思った方向に走ってみて、いつでも方向変換して、右往左往していくしかないですね。
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