担任ガチャ 次男編

ワーママ奮闘記(回想)

長男が小学校を卒業すると、入れ替わりに次男が入学。

1年生の担任は長男の6年生の担任だった、あの最悪の女教師だった。

なんで?
私はアンタが大嫌いなのに・・・と思ったが、次男は長男と違って、穏健派だったから、「お兄ちゃんとは全く違いますね~」なんて、早々にウチのマークを解いてくれたようだった。

次男の時は3年生のベテラン先生がアタリだった。

同じく女性だったけれど、私はこの先生から、遅まきながら、子育ての極意を習った気がした。

子とも達に対しても、なんでも分かりやすく、理論だてて説明してくれてたようで、

人への観察力が厳しい次男も、一目置いていた。

先生曰く、「ちゃんとしなさい!」では通じません。「何を」「どうするか」きっちり具体的に指示してください。できるまで100回でも200回でも言ってください。根競べです。

たとえば、

「教室を出る前には、必ず振り返って、自分の棚を確認する。」

「帰ったら、まずランドセルを開けて、お手紙があったら、ここに置く」

絶対にできるようになります。根負けしてはいけません。多くは親の方が先に諦めています。

確かに。。。

5年生の担任は学級崩壊を招いた。この人もベテラン女性だったが、それにアグラをかいた感じの人だった。「え?この人なに?」と私も内心感じていたところがあったが、子ども達は、特に女子は、敏感にこのイマイチ教師を切り捨てていたようだった。

結局、クラスでの女子のいざこざを納めきれず、ベテランのプライドを、生徒にも親たちにもズタズタにされ、予告なく長期欠勤に入ったらしかった。学校には一方的に診断書が送られてきたようだった。代理で入った学年主任の先生が見事に納めて、本当に教師の力量の差をまざまざと見せられた。

当時、このクラスのゴタゴタはママ友が居ない私の知るところではなかった。

ただ、クラスが荒れていて、温厚な息子にも波及した。

長男は友達間でも発言力があって、リーダータイプ。「いじめっ子」とされるほどに。

次男は、普段からその長男の「僕(しもべ)」として生活していたから、自然と「パシリ気質」になっていたようで、クラスメートの長男タイプにターゲットにされていた。

図らずも私は、いじめっ子といじめられっ子の親の気分を味わうこととななった

次男は6歳上の長男に憧れもあって、最初から長男タイプの友達と遊んでいたのだが、

次第に「都合のいいヤツ」になっていたようだ。

5年生の頃の荒れたクラスでは、クラスのジャイアンの力は絶大で、ガチのいじめが発生していたらしい。

「○○しないとお前とは遊ばない。」なんて言われて、次男は困っていたようだ。

仲間外れにされた友達もたくさんいて、それが怖くて、スネ夫化した取り巻きに囲まれてジャイアンは君臨していた。担任が機能していなかったから、毎日誰かが仲間外れにされて泣かされて・・・ということだったらしい。

次男はスネ夫ではなかったから、常に何かしら嫌がらせを受けていた。

本当は、すでに仲間外れにされた、被害者グループと一緒にいた方が楽だったらしいが、やっぱり、ジャイアンといると楽しいこともあったようで、ジャイアンも、息子のことを都合よく使いたかったみたいで、一緒にいることが多かった。

でも、ある日とうとう「もう一緒に遊ばない。一緒に帰ってやんない!」と言われたようで、泣きべそをかいて帰って来た。タマタマ私は家に居た。

私もたいていのことは知っていた。ジャイアンママのこともよく知っていた。家が近かったし、彼女はなぜかウチの長男のことを、好きでいてくれて、小学校アウェイの私に何かと情報を流してくれていたから。

彼女はそのジャイアンを溺愛していたが、いたって普通のママのようだったから、ジャイアンもきちんとしつけはされているハズで、1年生から知っていたが、心根は悪くない子なんだろうなと、感じていた。

そこで、息子にアドバイスした。

次に一緒に帰らないとか、遊ばないとか言われたら、「わかった・・・」といって、自分から去りなさい。何を言われても、絶対後ろを振り向くことなく、まっすぐに家に帰ってきなさい。次の日からは違うグループのお友達のところで過ごしなさい。

次男はジャイアン被害者の会の友達から、「無理せず、早くこちらにおいで」と誘われたいたのだ。

そして、次男は言われたとおり実行したらしい。

すると、ジャイアンは今度は息子にすり寄ってくるようになった。

「え?オレとはもう遊ばないんじゃなかったん?」と息子に言われて、ちょっと引いてたらしい。

いい感じの距離間になったところで、クラス替え。ともに中学受験組だったので、6年生になると自然と友人関係も変わっていった・・・

後日談・・・

その後のジャイアンは、入った中学が合わずに、荒れて、好き放題したあげく、退学。しばらく行方知れずになっていたが、そこは、堅実な家庭。しばらく地元を離して、生活させていたようだ。

つい最近、次男に連絡があったらしい。

また、ややこしいことになったら嫌だから、会うのはどうか、と言ったのだが、次男はどうしているのか気になるし、会ってみるよ~とのこと。

近くの路上で話こんで、30分で帰って来た。

彼の決意表明だったらしい。彼は地元を離れて、一人で勉強して、「大検をとって、何とか今年東京の大学に受かった。でも、仮面浪人して、次は医学部を狙う。何年かかっても医者になる。それを言っておきたくて。」

息子も今の自分のこと、一浪したけど京大に行けなかったことなどを話したそうだ。

「オマエ、京大狙ってたんや・・・すごいな・・・」と言ってくれたらしい。いや落ちたんですけど・・・

そういえば、息子が3年生の時?のジャイアンが書いた文集では、2人とも医者になっていることになっていた。

コードブルーが流行って、みんな医者に憧れていたけど、ウチの息子に限って医者になりたいなんて、一度も言ったことはなかったはずだ。当時はなんか、おもしろいな・・・と思って読んでいた。

ジャイアンにとって当時から息子はどんな存在だったんだろうな・・・

単にいじめのターゲットだけではなかったようだ。

一度聞いてみたいな。

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