父は重度の間質性肺炎らしい。主治医がレントゲンを見ながら、ここまでひどいのは稀です。とのこと。
無理言って会わせてもらった父は、ものすごく苦しそうで、食べれないので、やせ細っていて、本当にかわいそうだった。酸素をいくら入れても、十分に吸えていなくて、ずっと水中でアップアップしているようなものらしい。肺の病はこんなにも酷なのかと思った。
なんで? 今まで父からも、生前の母からも肺が悪いなんて聞いたことが無かった。
ただ、私が中学生の頃に肺炎で入院していたのは覚えてる。
父はもちろん、家族に喫煙者はいなかった。アスベストに囲まれた家だったとか?
とにかく、長年かけて進行するらしいが、元気なころにも健康診断なんか行ってないので、いつから悪かったのかさえわからない。
さっき主治医から、肺炎の原因らしいものがわかりました、と連絡があった。
「鳥」です。???
主治医いわく、元々鳥アレルギーがあって、鳥を飼っていたとか、羽毛に囲まれてたとか、鳥のあつまる近くに住んでて、舞い上がる乾燥フンを吸い続けたとかで発症するらしい。初期の自覚症状はなく、長年蓄積されて、ある日突然現れることがあるとのこと。
施設では羽毛枕や羽毛布団のはずもなく、鳥も飼ってないし、はく製もない。
もちろん鳥のフンも舞わない。脳卒中で倒れてから10年は、めったに外にも出てないのに。
ただ・・・倒れた時に住んでいた家は公園の前にあって、弟曰く、いつも鳩がわんさといたらしい。そういえば、そのころ父はシルバー人材派遣センターで公園掃除のバイトをいていて、鳩のフンの始末が一番大変で・・・みたいなことをよく言ってたのを思い出した。 あの頃からか? 10年以上もかけて?
その家で尺八教室を開いて、常に思い切り息を吸い込んでいたからな。
尺八の小物で羽由来のものがあったのかもしれないし、家には羽帚もあった。
施設では冬はずっとダウンベストを着ていた。これも要因のひとつかも・・・と言われた。
いったん発症してしまうと、ほんのちょっとのアレルゲンでもひたすら蓄積されるらしい。
42年前に肺炎になった時も、もしかしたら、セキセイインコを飼っていた頃と被るかもしれない・・・
たしか数週間入院したんだった。当時父は40代だったし、回復も早かったはずだ。インコを飼っていたのもほんの1年くらいだったと思う。
ネットで調べてみると、やはりある「鳥関連過敏性肺炎」
これが引き金で徐々に肺が硬くなり、間質性肺炎に進行したのではないかと・・・
今さら分かったところで、どうすることもできないが、主治医は、「どう転ぶかはわかりませんが、ステロイドの投与をしてみます。」とのことだった。
息子ほどの若さの主治医は、実直な感じで、年寄りにも一生懸命に向き合ってくれている。ほんとうに有難い。
でも・・・
「もし、効果が見られない場合は、治療はもう諦めますので、緩和ケアに、苦しみから解放してあげてください。」とお願いをした。
主治医は「薬で効果があって、少し楽になるかもしれないので、一週間ほど様子を見させてください。それから考えましょう」と言ってくれた。
この先はどうすればいのか。もう施設には戻れない。酸素と栄養点滴なしには生きられない。起き上がることもできない。コロナで会えないのは辛い!と思っていたけど、今の状況で会えばもっと辛い。
会えないのは、私への、天からの配慮か。
そして、次は転院先を見つけて・・・
父は最後に思い切り存在をアピールしてるんだな。
私は、今までに、こんなに父の行動履歴を調べたり、症状を気にかけたり、向き合って、考えたことがなかったんじゃないかな。
かなり面倒くさい人だったので、基本的に関わらないようにしてたからな。
全く酷い娘だな。
だから、最後くらい猛アピールに向き合いますよ。弟もしっかり巻き込んで・・・
コメント
私も若い時は神経質な父が鬱陶しくて仕方なかった。
けど、すっかり歳を取り、私を一番頼りにしている気弱になった父を目の前にして、どうしてあげたらいいのかわからなくて焦ります。
一生懸命励まして、笑顔が出るとホッとします。
父にとっては、そんな些細なことだけが幸せなのかなぁ。
cocoanpanさんのお父さん、頑張って〜!
楽になり、穏やかな時間がやってきますように‥。
コメントありがとうございます。
ここ2、3日病院からの連絡もなく、不気味な静かさを保っております。
とはいえ、病状に変わりないということは、相変わらず苦しんでいるのかもしれません。
オミクロンのこともあり、高齢者だらけの呼吸器内科には近づくことさえためらわれ、複雑な心境です。
明日は母の9年目の祥月命日。あの日もすごく寒かった。この季節は嫌いです。。。