怒りの一時感情とは

雑記

今日は色彩心理ではなく、アドラー心理学講座に行ってきました。

3回シリーズの2回目。当初からのテーマは「怒り」。

アドラー心理学では、怒りは手段であり、二次的な感情で、その前に一時感情として、「寂しいかった」「悲しかった」とかがあるのだそうだ。自分の本当の感情に自分で気づくことが大事。なのだそうだ。

「最近どんなことで怒りましたか」「その時あなたはどう感じましたか」「相手にどうして欲しかったですか」といったことをグループシェアするカリキュラムだった。

私は日々ちょっとしたことでイラっとすることはしょっちゅうあるけれど、ものすごく怒ったことが、意外にも、全然具体的に思いつかず、苦労した。

講義の最初に名札にきょうだいの生まれ順を書いた。私は第一子で弟がいる。

先生によると、第一子は、怒りを具体的に言葉にすることが出来ない人が多いらしい。

つまり、自分の感情が見えてない人が多いらしく、そのしんどさから、心理学を学ぶのは圧倒的に長女が多いらしい。

実際、「〇〇されて腹がたったんです。自分がないがしろにされた気がして、とても嫌な気分でした!」とサラサラ答えるのは、末子、次女とか末っ子の人だった。

本当はすごく気になるのに、その責任感から甘えることができなくて、心に封じ込める傾向があるそうだ。「〇〇するべき」と思いこむのも第一子に多いらしい。

私の場合、腹が立っても、先んじて「相手はこんな風に思ったからあんなことを言ったのかな」とか「本当はこうして欲しかったのかな」とか考えてしまって、自己完結。怒りを表に出して発散させることはなかった気がする。もちろん多少のいざこざはあっても、いつも私が引いていた気がする。

我慢してたんだな。偉いぞ私。あ、子どものことは除きます。心配と過干渉から怒りまくってたから。成人した最近は怒ることも無くなっただけ。

で、私の怒りの一時感情をよくよく考えてみると、「私のことを大切にしてほしい」とか「いつも私ばかりが損をしているのが嫌だ」とかけっこう自己中心的な感情が根っこにある。こんな感情を解放してしまっていいものか。

でも、やっぱり、自分の感じたモヤモヤを言葉にした方がいいよな。自己完結して、一時的に心を納得させても、本当は納得してないから、何度も何度も思い出して嫌な気分になるんだろうな。執念深いもんな私。

でも、半世紀以上こうして生きてきたんだし、これからも穏やかに生きたいし、波風立てたくないよな。今さら「あの時ホントはどうしようもなく怒ってたんだ」なんて。第一、もういない相手もいるし。

でも、でも、でも、どうする私!?

まあ、それはゆっくり考えることにして、執念深いのは巳年のせいじゃなかったと気付けた1日でした。

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