長男と次男、それぞれに産前4週間、産後8週間の産休と生後10か月になるまで育休をとった。まだ今ほど制度が整ってなくて、1歳になると、すべての制度が使えなくなるから、2か月残しての復帰だった。加えて、長男の時は育休中は社会保険やら厚生年金やらをすべて支払い続けなきゃいけない。前年度の所得税等々の支払いもあって、毎月、結構な金額が引き落とされる。大した給付金も出ない。今とは大違い。10か月が限界だった。マンションの家賃も勿体無いので、早々に引き払って主人の実家に転がり込んだ。
これは結構な決断だった。
復帰を控えて、保育園を探さないといけない。主人の母も私の母も仕事をしていたので、子どもの世話は頼めない。いや、絶対頼みたくない。
当時は今ほどし烈な保活ではないにせよ、中途半端な10月からの預け先なんて、相当ハードルが高い。しかも初めての保活。何もわからず、区役所の窓口に泣きついた。窓口の人は必死な私に色々と教えてくれた。
- 今住んでいる近くには、保育園の数が非常に少ない。少し離れたところにはあるが、隣の区のほうが近いし、保育園の数が多く入りやすいかもしれない。
- でも、区民が優先だから、隣の区に少しでも住むか、住む予定だと、言い切るといい。
- それでも0歳児の枠は極端に少ないから、いまからじゃ難しい。無認可のベビーセンターも紹介するから、現地で直談判して、抑えておくこと。
- 次、福祉の窓口に来るときは、必ず子どもを連れてくること。見る人がいない、でも育休復帰しなければならない!とアピールすること。
早速、隣の区をリサーチ。ラッキーにも住んでたとこから徒歩圏内に隣の区の保育園を見つけた。で、その保育園のすぐ近くで分譲していたマンションを購入予定だ、ということにして、子どもを抱っこして、やつれた形相のすっぴんで隣の区の福祉窓口に行った。
とりあえず申し込みは受けてくれたが、やっぱり無理っぽい。翌年の4月に1歳児でもう一度申し込んでくださいね。と言われた。
当時の雑誌によると、「いろんな保育園に実際に見学に行って選びましょう」とあったので一応見学には行ってみた。園長先生は正直な人で、保育園を選べるなんて、思っちゃいけない、こちらが選ばれるんだよ。みたいなことを言ってたような気がする。
0歳児の定員は5人。現在空きはない。とのこと。
でも、「私困ってます」感は出しておいた。
なので、住んでた区で紹介してもらった無認可のベビーセンターに行ってみた。
小さなお家に2歳児までの子どもが数人。保育士はけっこうなお年のおばさんが2人。
おばさんは自信満々に「食事もおやつもここで手作りです。」「毎日近所の公園に出かけます。」・・・なかなかいい感じ。
最後に「おむつは布を使いますので大きな袋を準備しておいてください」
「え~布ですか!!!紙ではダメですか?」と食い下がる私に、おばさんは、言った。
「紙おむつだと情緒が育たたないんです。将来オウム真理教とかに入ったら大変でしょう。」
なんだその理屈は。紙おむつだと、オウム真理教に入信するのか?なんで言い切れる!?
納得いかなかったが、とにかく駅近で、古いけど清潔そうで、子ども達の雰囲気も悪くなかったので、覚悟を決めて、仮申し込みをした。
そこそこのお値段だった。ひと月一律6万円くらい。認可保育園だと、世帯所得で保育料が決まる。それも落差が結構あって、母親がフルタイムで復帰すると、自営業でもない限り、大した給料じゃなくても0歳児は最高上限額(当時6万5千円だったと思う)を徴収されることになる。会社勤めは源泉徴収で、所得はお見通し。共稼ぎには厳しい。
まあ仕方ないか・・・という感じ。
復帰1か月前になって、申し込んでた保育園から連絡があった。0歳児に空きが出た。
ご主人の転勤でどうしても引っ越さなければならない人がいて、次の入所順位1番は育休復帰で、困っている私だったのだそうだ。今になって思えば、認可保育園といっても私立だ。園長の権限は大きい。あの時見学に行って、園長先生に会っておいてよかった。
地域柄、モンスター親子も多いと聞いた。その中では私たち親子は品行方正に6年間を過ごした。と思う。なので、次男の時は、当たり前のように、受け入れてくれた。結局そこの保育園では兄弟で合計12年お世話になったのでした。
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