ワーママの覚悟

ワーママ奮闘記(回想)

ウチの地域の公立小学校は専業主婦率が高く、あまり学校に行かない私にとっては完全アウェイの空間だった。

参観日と懇談会には仕事を休んで必ず参加していたけれど、休暇のやりくりをするのも大変で、季節的に、そろそろ参観日だなと予感すると、いつも「仕事が暇な日にしてくれ~!!」と心の中で祈っていた。

長男次男が6歳違いだったので、綱渡りのような12年間だった。

必ず回ってくる役員は、休日に行事がある、体育委員を希望した。でもその役員を選出する抽選日があり、そんなことに大事な休暇を使うわけにはいかなかったので、参加したことはなかった。

専業主婦率が高かった当時の小学校では、こちらの事情を配慮してくれたようで、それぞれの息子時代は2回とも体育委員を割り当ててもらえた。今だと、日祝行事のみの役員なんて争奪戦だったろうな。

長男の小学校卒業式の後に雑談していたお母さんが、「ああ、私も何か仕事しとけばよかったな。これから何しようか・・・」なんてのたまった。

初めての小学校で、右も左もわからなかった私に何かと教えてくれた先輩ママで、下の子がウチの長男と同じクラスで、きわめて感じのいい人だったけれど、この時ばかりは「ワーママ舐めんな!」と思った。

自分で選んだこととはいえ、この6年間、どれほどの葛藤と時間のやり繰りを乗り越えたきたか。仕事、子どもへの向き合い方、その背景、同調圧力、社会構造のことを考えて、どれほど悩んで今日まで続けてきたことか。しかも私には、まだあと6年、次男がいる。

パフェ食べながら、思いつきで言うことじゃないんだよ!!

なんて、顔ではにっこり笑ってしのいでたけれど、心の中では悪態ついておりました。

35年の間に時代も随分変わって、ワーママが当たり前になってきたけれど、皆悩みながら乗り越えていく、あの時の私と何も変わらない。いくら給付金の額が上がっても、制度が整っても、かわいい盛りの子どもを保育園に預けて、働き続けるということは、小学校でのイロイロを乗り越えて働き続けるということは、相当の覚悟がいると思うのだ。

母親としては自分の選んだ道が本当によかったんだろうか、

いくらでも代替が聞く仕事人と唯一無二の母親との狭間でとにかく悩んだ。

でも両方を選んだ。

当時のことを息子たちに聞いてみたことがある。

「へ?覚えていない」とか、「友達の家に遊びに行って、そこにオカンが居たかなんて、覚えてないし、どうでもよかった」とか、あげく、「何かとうるさいから、家に居ない方がよかった」とか言い出す始末。

親の心子知らずである。

でも、よかった。母親がどれだけ悩んでていても、子どもには関係なく、勝手に成長して、いつの間にか親を超えていく・・・

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